Thursday, August 10, 2006

好きなことをやるっていうのは。。。

夜10時になったが、大学の音楽サークルでは人影がまだあります。「こんな遅いまで練習するの?」と思っちゃいました。しかし彼らにはもう遅いだとかしんどいだとか思っていないようですね。彼らにとって「好きなことを好きだけやれるので幸せ」なのです。
僕はカンボジアにいたとき、好きなことはもちろん知りません。自分が何が好きなのか、何になりたいのかまったく思いつきませんでした。日本に行きたいなくらいは思いました。日本に行って、何をしたいか、何を勉強したいか、将来はどういう職に就きたいかは考えられませんでした。今の僕の専攻はそのとき流行っていたから、僕はみんなと同じように選んだだけです。
今「好きなこと」について少しわかってきました。自分の好きなことであればいくらやっても疲れを感じないですよね。好きな仕事をやれば「疲れた」の代わりに「面白かった」と言うんですよね。それこそが『成功への道』なのです。いくら努力しても、努力だけは限界があります。しかし、好きでやるのであれば次から次へと新しい発見ができ、無限の成功ができるんです。「有名大学だって入らなくていい、全世界の人を驚かせるような研究だってしなくていい、自分の好きな研究をすれば必ず立派な成果を出せるのさ」。
『こんなに簡単なら、人はみんな成功するだろう』といってもいいでしょう?
そうです。簡単なんです。しかし、問題は世の中に自分の好きなことをやれる人は何パーセントいると思いますか?答えは僕も知りません。知っているのは僕も自分が何が『本当に好き』かというのも分からないです。僕にとっては自分の好きなことを見つけるのは大変です。
皆さん、自分の好きなことを見つかりました?見つかったら僕にもその方法を教えてください!お願いします。

7 Comments:

At 8/11/2006 09:19:00 am, Blogger Unknown said...

でも少し見つかったといったでしょ?あまり関係のない話ですが、あなたってもっと人に知ってもらいたいという思いがあるけれど反対に自分を出さないように自分を抑えているようですね。人を信頼できない不安をどこかで持っている性だと思いますが。もっと気楽に生きたほうがいいと思います。

 
At 8/11/2006 09:57:00 pm, Blogger hp said...

そうですね。確かにもっと自分を表に出したほうがいいかもしれませんね。正直、僕は人を信頼しないというより、陰でいたいです。そのほうが気楽にいろいろ喋れます。
僕って結構弱気な人です。小さなことでもすぐに心配し、落ち込んでしまいます。だから影でいるのはとても安心と感じてしまいます。陰でいると僕は自分の考えを書けるようになりました。僕の思いは、弱気だとか強気だとかよりその人の考えを見てほしいです。大体の人はある人の考えるを考慮に入れる時にその人の性格とか立場を入れてしまう傾向があります。だから、弱い人があまり聞いてもらいないのです。でもみんなとは言わないけど、少なくとも僕は昔貧乏だったからそんな経験をしていました。だから、トラウマになったのかもしれません。
陰でいることを謝ります。でもこれからも僕は陰でいることを願っています。申し訳ありません。

 
At 8/12/2006 10:08:00 am, Blogger Unknown said...

気悪くしたようですみません。そういう意味で言ったつもりなかったけど、捉え方は様々だなあと改めて考えさせてくれた返事でした。私に謝る必要もないし、逆に私から謝らなければと思いました。

貧乏だったか。。。私もそうだった~今でもまだ貧乏だけど、さらに責任が増えました。
貧乏の辛さって共感できます。

 
At 8/12/2006 11:19:00 pm, Blogger hp said...

いいえ、いいえ、気分悪くもなにもないです。実は自分の正体を隠すのでいつも申し訳ないと思っています。ワケを言えて、すっくりしました。

 
At 8/14/2006 09:38:00 am, Blogger google said...

わたしも同じことを悩んでいます。
妹の友達にプー・プーって呼ばれているが未だに好きな事が見つかっていないのです。
でも、考えようによってはうちらがまだ増しですよ。カンボジアで一日中バイクタクシーを走らせガソリン代を差し引くた残りは、明日の生活に足りるか足りないか悩んでいる人たちに比べればね。そう考えると、好きなことを見つからないっていうものがかなり贅沢な悩みように思える。


それにしても、みなさん日本語がとても達者で関心しています。
いっしょうに仕事している一部の日本の人より分かりやすく綺麗。

 
At 8/14/2006 06:54:00 pm, Blogger hp said...

そうですね、人間の欲はかぎりがないというのは間違いないですね。
そんなことを話すと、昔の自分を思い出しました。それはカンボジアにいたときの大学の2年のときでした。塾を通う金がなくて、悪い成績を収まりました。自分が勉強できないじゃなくて、金がないから人に負けた悔しさはとても胸を痛めました。もう少し金さえあれば、こんなこともそんなこともあんなこともできるのにと涙を流したときがありました。
その時、自分の好きなことをやるなんて考えもしなかったです。「稼げたら、どんなことでもやるのさ(もちろん犯罪を除いて)」と思っていました。
今なって、奨学金をいただいて勉強するだけの生活になったら「好きなことがみつからないな」とわがままを言うのは贅沢な悩みと言われてもしょうがないですね。
でも僕はこんなことを考えました。「今余裕があるからこそ自分才能を最大に利用して、好きなことをやって偉大な成果を出して人に役立つようなことをやるじゃないか」と考えました。ここでの「好きなことをやる」意味はただの自分を楽しむことだけじゃなく、自分の好きな仕事、自分の才能にあった仕事、やって楽しい仕事を意味するつもりでした。
とにかくpoophnomさんのコメントで僕は「好きなこと」について違う面で考えさせてくれました。ありがとうございました。

 
At 8/14/2006 09:49:00 pm, Blogger google said...

そうですね。
田舎からプノムペンに来てbook one(当時流行っていた英語教科書)を勉強しはめながら小さな子供たちにえーびーしーを教えて生活したことを思い出します。その時に毎日いっぱいいっぱいでこんな悩みなんてなかったなぁ。。。

でもどんなときであっても仕方なくやるより、やりたいこと、自分たちの才能にあったことをやるのが一番良いに決まっています。
だからこそ、hpさんがいうように余裕のある時にこのことについて大いに悩んで考えるべきです。これにまったく同感。

そして私たちは、時系列にその「余裕のある時」というのは以外にも限られることも、どこかに認識するべきと思います。この先好きなこと見つかる見つからないに関わらず何かせざるをえない。自立して自分や奥さん・こどもを食べさせなければならないので。

いま好きなことなのか考えて落ち込んだりしているので、聞けてよかったです。こちらこそありがとうございます。

 

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