Monday, August 28, 2006

こんなすごい人がいる。

今日のテレビ番組では樹研工業の松浦社長が出演しました。彼の言葉で関心を惹かれました。
彼には、大人は子供たちに「こうしなさい、ああしなさい」を言うのはあかんですって。大人は楽しくやると子供は自然に真似するから、子供を礼儀正しくなってほしければ大人は笑顔で挨拶すればいいらしいです。
彼に言われなくてもそれは当然のことだと思うでしょう。ただ、そう思う人は100人いても、実際にやる人は1人いるかいないかですね。
彼の会社では「ムダ」な会社で有名らしいです。ムダだから成長したのです。そのムダはまず、(1)タイムカードがない (2)出張はグリーン車で清算なし(3)定年がない(4)採用は先着順などです。おかしいとみんなが思うかもしれませんがなぜか成功しているのです。彼にはチャンスをつかむ人が成功するのです。そしてチャンスがいつでもやってくるものではないのです。またチャンスをつかむには金が必要とする場合がほとんどです。だから、金を使うときにボーンと使いなさいですって。
ひとつの質問が番組中に会社員から聞かれました。「入社受験なしで社員を採用してきましたが、人を採って失敗したときはどうしまか?」
彼の答えはまた面白いです。「わかりません。失敗したためしがないからです。」
彼には人それぞれ自分の得意分野、特有の能力を持っているのです。それを見つけて、活用するのは社長の仕事です。早い人は1週間で見つかったが、遅い人は10もかかるんですって。まぁ、またまた当たり前のことを言うんですね?
最後に今日の名言を聞かせてくれました。「人は自分の人生の目標を間違えちゃだめ。人生の目標は『金持ちになること』『有名になること』『偉くなること』だと思ったらそれは間違いだ。なぜなら、それを目標にしたら、人が逃げていく。仲間もいなくなる。人生というのは一生懸命やって、豊かになるのである。」
まぁー、今度は当たり前なのかな?
僕は少し考えました。こんなことは日本の社会では適応できるんですが、カンボジアはどうかな?
日本では一生懸命やる人はほめられ、悪いことをやって成功した人は批判されるのです。僕は日本に来る前までは、カンボジアでは金を稼げればどんな方法を使っても結果金持ちになればいいという傾向がありました。逆に、いいことをやっても、一生懸命仕事をやっても貧乏ならすべては無視され、見下されることが多かったです。学校だって、お金さえあれば悪いことをしても先生が手を出せない状況だし、知識がなくても受験を受かることもできるんです。
いつかはカンボジアも日本のようになってほしいです。努力の価値を認めてほしいですね。
まぁ、なってほしいというだけではあかんやと思うけん、自分の家族からはじめて少しずつ変えています。

Wednesday, August 23, 2006

最近ちょっぴりはまったこと。。。

東京住居じゃないので、フィッシュソースを変えません。自炊することが多い僕はいつも自分の好み味の料理を作ることができません。
いろいろ試してみたら、新しい発見ができました。野菜炒めに焼肉タレで調味することです。結構いけますよ。もちろん多量じゃなくて、まず塩と砂糖で少し薄めの味に調理し、最後に自分好みにあわせて焼肉タレで調整すると美味しいと思います。焼肉のタレって甘口のやつがお勧めです。
もうひとつは野菜炒めにカピ(kapi)を少し味を強調する方法です。人によって好みが違うかもしれませんが、僕は結構濃い味の食べ物が好きなほうなのでこういった「くさい」ものが好きです。
とにかく最近この二つにはまっていますが、どれくらいもつか分かりません。味が濃いだと飽きやすいので長くは持たないと思います。でもたまに作ると美味しく感じます。

Wednesday, August 16, 2006

言語の不思議な秘密。。。

日本語からクメール語または英語に訳するときにこんな困ったことがありませんか?
「意味にあった言葉がない」「辞書を引いたらこの言葉に訳しされるがなんか気持ち的に足りない」
僕は言語に秘められた不思議な力があると思います。一見して言語はただのコミュニケーションの手段のように見えますが、言語にはそれだけの意味だけじゃないと思います。言語はその国の文化を表す力があります。例えば、日本語にはほかの言語にない「いただきます」「ご馳走様でした」があります。英語を使う人、カンボジアを使う人はものをもらったときに日本人と同様に「感謝気持ち」があります。しかしその気持ちを表現する言葉が違うのはなぜだと思いますか?「いただきます」と「thank you」は気持ちの重みを考えればまったく違うと思います。
日本語で言う「頭がいい」をカンボジア語で表現すると「rien pou ke(リエン プー ケー):勉強がよくできる」という意味になります。頭がいいから勉強がよくできると思うかもしれませんが、その意味を真剣に考えるとちょっと違うかもしれません。「頭がいい」というのは恵まれた才能である一方、「勉強がよくできる」は努力したという意味があります。「勉強がよくできる」とは必ず頭がよくないとできないものではないのです。だから「rien pou ke」をいうと、僕の見方では、決してあなたは他人より優れる性質を持つのではなく、あなたはよく勉強したからいい成績を収めることができると捉えることもできます。
ここまで考えれば、カンボジアの社会はほめることが少ないと思いませんか?僕の家ではほめることがほとんどないです。試験を受かった、みんなが嬉しい、それだけです。「よくやった、よくがんばった」とほめられませんでした。そして僕自身もほめられたいと思ったこともないです。僕の家族だけなのですかね?
日本語では謙遜的な言い方が多いと思いません?自分でがんばって成功したのに「お蔭様で」だとか、少しオーバーだなと思ったことがありませんか?でもそれは日本の文化なんです。日本人にあった文化だと思います。そしてカンボジア人にはカンボジアの文化にしか合わないのです。そしてそれらの文化に合った自分の言語があると思います。この文章をカンボジア語に訳したら同じ気持ちで表現できるかどうかも保障できないと思います。
言語ってすごい力を持っていますね。

本音:この文章を書き終わったらなぜ自分がそんなことを考えるのか困惑しています。(○^=^○)

Tuesday, August 15, 2006

初めて不安と思うとき。。。

現在アルバイトしています。そこで専門的な知識が必要とし、なかなか思い通りにいかないことが多々あります。僕はパソコンを使うのは苦手ではないと思っていました。しかしこのアルバイトをしたら自分の限界を感じ始めました。いろいろなソフトの使い方を学びながら与えられた仕事をするような仕事です。うまくいかないときにかなり落ち込んでいます。お金をもらっているから、早く仕事をこなさないと責任感を感じてしまいます。
僕は日本に来た当初日本で就職しようと考えました。「日本での就職は大変だよ」と先輩たちから聞かせてもらいましたが、自分ならきっとできると思っていました。だって、カンボジアで農業をするより絶対楽だと思ったからです。
しかし、今は違います。自分は日本で就職できないじゃないかと不安になりました。今みたいに毎日ストレスを感じながら仕事をすることに耐えられるか心配です。そろぞろ卒業し、就職も考えなければならないので益々不安ですね。卒業したらカンボジアに帰っても仕事がないかもれない、ここで残ったら仕事に耐えられず中途半端な生活するのもいやですし。。。しかも結婚すらできないかもしれません。
僕の夢はカンボジアに帰ってから吉野家またはほかほか弁当みたいな手ごろな値段で気軽に食べれるお店を始めることです。
いつもこんな悩みばかり話して、皆さんにもっとストレスを与えるので大変申し訳なく思っています。でもこれこそ僕の本当の姿です。弱気かつ悩みの多い男です。ここでしかこんなことが言い出せないのです。

Tsuyoshi Nagabuchi - CLOSE YOUR EYES

I like it so much.

Monday, August 14, 2006

素直にうれしく思いました。。。

僕は毎日生活の中では自分の弱いところを隠そうとしています。素直になれる人にとても憧れて、とにかく自分の中ではそういう人が英雄です。
その原因は自信がないことだと思います。自分に自信がないからいつも素直になれないのです。そしていつでもみんなが「いいこと」だと思うことばっかりやるようにして、いつの間にか自分に負ける気がします。他人(後輩や友達)に対して「自信を持ちな、応援しているから」というくせに自分は自信を持っていないのはとてつもなく矛盾だと思うが、どうやって自信を持つようになるか分かりません。
今でも自分の本当の姿でここでいろいろなことを書くことすらできない自分に腹が立ちます。

しかし、このブログをはじめてまだ1ヶ月ちょっとですが、皆さんからのご意見を聞かせていただいて本当に素直にうれしく思えました。なぜなら、ここでしか自分が素直になれないのです。ここは自分の本当に思っていること、考えることを人に言える場所です。そしてここでいただいたコメントがとてつもなく宝物です。本当の自分はどれだけ常識から離れているか皆さんから教えていただいています。

ちゃんとした人間として生きるのは大変ですね。

Thursday, August 10, 2006

好きなことをやるっていうのは。。。

夜10時になったが、大学の音楽サークルでは人影がまだあります。「こんな遅いまで練習するの?」と思っちゃいました。しかし彼らにはもう遅いだとかしんどいだとか思っていないようですね。彼らにとって「好きなことを好きだけやれるので幸せ」なのです。
僕はカンボジアにいたとき、好きなことはもちろん知りません。自分が何が好きなのか、何になりたいのかまったく思いつきませんでした。日本に行きたいなくらいは思いました。日本に行って、何をしたいか、何を勉強したいか、将来はどういう職に就きたいかは考えられませんでした。今の僕の専攻はそのとき流行っていたから、僕はみんなと同じように選んだだけです。
今「好きなこと」について少しわかってきました。自分の好きなことであればいくらやっても疲れを感じないですよね。好きな仕事をやれば「疲れた」の代わりに「面白かった」と言うんですよね。それこそが『成功への道』なのです。いくら努力しても、努力だけは限界があります。しかし、好きでやるのであれば次から次へと新しい発見ができ、無限の成功ができるんです。「有名大学だって入らなくていい、全世界の人を驚かせるような研究だってしなくていい、自分の好きな研究をすれば必ず立派な成果を出せるのさ」。
『こんなに簡単なら、人はみんな成功するだろう』といってもいいでしょう?
そうです。簡単なんです。しかし、問題は世の中に自分の好きなことをやれる人は何パーセントいると思いますか?答えは僕も知りません。知っているのは僕も自分が何が『本当に好き』かというのも分からないです。僕にとっては自分の好きなことを見つけるのは大変です。
皆さん、自分の好きなことを見つかりました?見つかったら僕にもその方法を教えてください!お願いします。

Monday, August 07, 2006

「人に迷惑をかけない限り」という主張に関してはどう思う?

先日WBAライトフライト級世界王者になったばかりの亀田選手の父親は今日テレ朝に生出演した。試合の判定と亀田選手の性格に関していろいろ批判をいびる中のテレビ出演だ。判定が微妙なのは亀田選手が悪いじゃないことは確かだね。悪いのはあの審判と裏にある人物たちである。でも亀田選手の性格についてはどうだろう?
性格に関してはあの親父が「若者だから、人に迷惑かけない限りいいねん。」といった。「人に言われて行動するのはいややねん。」。
日本社会ではカンボジアと違って、自由だね。若者を注意するお年寄りもいなくなるし、「自分のスタイル」というのをもって自由な行動をとる若者も多い。コンビにの前で座り込む若者などはすべて自由から生まれるものだと思う。
それって何が悪いの?というけど、確かに誰にも迷惑していないけど社会風景としてはあまりよくないね。社会風景がきれいって何なるの?といわれたら確かに何もならないけど、国の象徴は文化だし、その文化をつくるのは国民なんだよね。まぁ、自分の国じゃないから言う権利もないと思うけど、心配するのは将来のカンボジアもそんな感じになるのかな。。。
本気で困るけどね、そうなったら。

Sunday, August 06, 2006

1/100 × 1/100法則

1/100 × 1/100法則って知っていますか?
人間って100日気をつけても1日くらいは不注意しないときある。100日冷静に生きることができても1日くらいは落ち込んだり、何気なく気分が悪くなるときがある。そして、悪人がその一日を待ち構えて私たちを落とそうとしている。日本ではオレオレ詐欺やカルト教団とかはそういうときを狙っている。「自分が絶対に大丈夫だ」という自信があっても 必ずしもそうでもない。だから何があるとき、自分がすっきりしないときには自分の一番信頼する人に相談することが大事だ。
この法則はいろいろなことを当てはめることができる。人生って、100日成功しても1日くらいは失敗することだってあるさ。だから、失敗するときとかはあまり落ち込む必要なくその時間を利用して明日の人生の計画を立てよう。